在韓日本サンクチュアリ救命ボートのブログ

江利川安栄総会長が率いる日本サンクチュアリから、 韓国にも救命ボートが投げられました。 お父様を愛する家庭連合のみなさん、 ぜひアボジ直接主管圏の救命ボートに避難ください。

2016年12月

≪家庭連合訪問記≫
VOL.4 / 5 / 6 / 7 韓国の天福宮を訪ねました


統一旗私たちのラッパの音が聞こえたならば、
サンクチュリアンのみなさん、
ぜひ大声で、家庭連合に向かって叫んでください!
そうすれば、城壁は崩れて、
攻め上がることができるでしょう‼


天福宮外観 主はヨシュアに言われた、「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手に渡している。あなたがたいくさびとはみな、町を巡って、町の周囲を一度回らなければならない。六日の間はそのようにしなければならない。七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角をラッパを携えて、箱に先立たなければならない。そして七日目には七度町を巡り、祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない。そして祭司たちが雄羊の角を長く吹き鳴らし、そのラッパの音が、あなたがたに聞こえるとき、民はみな大声に呼ばわり、叫ばなければならない。そうすれば町の周囲の石がきは、くずれ落ち、民はみなただちに進んで、攻め上ることができる」。(ヨシュア記6章2~5節)

アボジ天福宮 お父様の御聖和後、亨進2代王様が思いがけず王宮を追われ、荒野路程を余儀なくされた。その後、沈黙を破られたことを号令に、私たちも実質的に奴隷生活を強いられたエジプトを後に、荒野へと旅立った。しかし、家庭連合つまりエジプトに残したかつての友人たちを思うと、後ろ髪が引かれる思いしかなかった。2017年1月29日、すでにお父様が用意された4300組の新郎新婦は、もしかしたら、まだエジプトに残っているのではないだろうか。お父様がすでに霊的には4300双を私たちに渡されたことを考えると、私たちは、あの家庭連合に再び向かわなくてはならない。しかし、あの強固な城壁をどうやって崩せばよいのだろうか。

 11月8日のアメリカ大統領選挙のトランプ氏の奇跡的な勝利と亨進2代王様の歩みを考えると、その強固な城壁も、崩れる時が近づいているのではないだろうか。そろそろ慣れ始めた荒野路程から、摂理はひとつひとつとアップグレードしている。そんなとき、ふと聖書の聖句が目に飛び込んできた。城壁を崩す...それはまさしくエリコ城勝利の再現ではないだろうか。7日間の町巡りの精誠。私たちはすでに、韓国協会本部、東大門教会、安山(アンサン)教会と3回訪問した。それでは、あと4回はどこへ...亨進2代王様のかつての拠点であった韓国天福宮を集中して4回、つまり東西南北の門を崩す意味を込めて4回訪問してみることにした。

四大聖人 1回目は、伊差川代表と私のふたりで訪問。まず儀式のように天福宮を一周した。すると偶然懐かしい姉妹に遭遇。昔と同じように挨拶をすると、相手も挨拶を返してくれた。無視はされずに済んだので上々だ。次に表玄関の横にそびえ立つ四大聖人の像はまだ健在だったので、ここで祈祷を捧げてから、中に入ってみた。平日のためか人はほとんど見当たらず、カフェも営業していなかった。1回目なので、あまり人目につかないほうが好ましいだろう。祈祷室で祈祷を捧げるために中に入ろうとすると、なぜか足が止まってしまった。右側に誰かがいるような気がして歩き出せなくなってしまった。少し左に寄ってみると、足は前に踏み出せた。“そうか、アボジは奥の御父母様の椅子ではなく、私たちの横に一緒におられるんだ”、そう悟ると、妙に心が落ち着いてきた。伊差川代表が祈祷を始めると、今度は声が出なくなってしまった上、腕を引っ張られたような気がした。“そうか、この祈祷は各自祈祷ではなく、伊差川代表の決意表明の代表祈祷を願われているんだ。この訪問を誰よりも望まれていたのはアボジだったんだ”。
二階祈祷室入口 ライトがあまりついていないので、あちらこちらに目をやると、かつての統一マーク一色から、だいぶ家庭連合マークに占拠されている様子だった。礼拝堂はカギがかかっていたので、入り口前の椅子で祈祷を捧げてから外に出た。外壁の統一マークは外しようがないみたいで、そのままだった。統一旗が空に翻っていた。写真を撮ると家庭連合の旗が隠れていい感じに映った。

祈祷室① 2回目は、伊差川代表と私とうちの息子の三人で出向いた。前回同様に周囲を1周してから、四大聖人前で祈祷して、中の祈祷室でも祈祷。すると、急にあたりが明るくなった。掃除の精誠をされている姉妹が、私たちに目を止めて灯りを付けてくださった。少し前回より出迎える霊界になったと喜んでいたところ、伊差川代表と旧知の仲だった清水リーダーとすれ違った。挨拶をすると、そのまま立ち去ってしまった。伊差川代表はショックを受けていたが、リーダーだから複雑なんだと言い聞かせてから、礼拝堂前で祈祷。前回よりもあちらこちらに目をやる余裕はあったが、まだ事務所を覗く気持ちになれず、そのまま退散した。

大聖殿 3回目は、共に正道術を学んでいるアジュンマ特殊部隊のメンバーと総勢6人で訪れた。やはり人数がいると違う。腹が据わってきた。賑やかなムードで周囲を一周すると、妙に強い気持ちが沸いてきた。よし、どこでも入ってみようじゃないか。まずは大聖殿、あっドアが開いている。入り込んでみると、もちろん照明は暗かったが、中央の説教台まわりの統一旗は、すべて家庭連合旗に代わっていたし、何か暗かったせいもあって異様な雰囲気だった。
小聖殿 小聖殿二回祈祷室もしかりであった。さらに2階祈祷室は、入口は家庭連合旗、室内は御父母様の写真。地域ごとの事務所を覗いてみると、バビロン大淫婦の写真は見当たらないようだ。あちらこちらを確認するように見て回った。まるでアボジが天福宮をチェックされているかのように。この日は不思議と人に出会わなかった。

 さて、遂に4日目、家庭連合訪問も7回目のクライマックスを迎えた。この日は日曜日。2部礼拝に参加しようと、伊差川代表と私の二人で出向いてみた。同日、場所は違うが、ソウル聖殿の日本人のメンバーたちが九里教会前で『真のお父様の涙』を配っているという。エリコ城路程も段々とクライマックスを迎え、賑やかな天一国主人たちの騒ぎ声が聞こえてくるような感覚があった。まず周囲を象徴的に2回回って、中に入り込んだ。礼拝堂に上がると、誰もいない。かつての二部礼拝は、青少年礼拝として小聖殿で行われていた。少しだけ顔を出してみた。失礼だが、命がけにみ言葉を語る亨進様のような霊的パワーは、あまりこの地では感じられなかった。周囲から、私たちに対して、“なんで来たの”という異様な視線を感じたが、それでも何の恐れもなかった。いつもアボジが共にいてくださったことを実感できたから。全世界の食口を訪ねて回りたいのは、私たちではなく、アボジその人なのだから。
売店 1階のカフェでコーヒーを飲んでいたら、懐かしいお姉さんに声をかけられた。伊差川代表と私の共通の知人だった。私がサンクチュアリに来ていることを知らず、激しく衝撃を受けていた。人間ダビデの石も少しは命中したようだ。次に前回無視された清水リーダーが、伊差川代表にみかんを持ってこられた。そして、「東部の事務所に来るように」と言われた。もしかしたら、再び戻ってきたと思われていたのかもしれないが、事務所を訪ねるチャンス。きっとアボジがスタッフに挨拶したがっておられるのだろう。導かれるままに事務所に入ると、食べ物が次々とテーブルの前に置かれ、しっかりと接待されてしまった。非常にみなさん懐かしがっておられたが、やはり戻ってきたと誤解されていたようだ。伊差川代表が、「お父様が指名した後継者の亨進様を支持すべき」と話を切り出すと、何やら急に雲行きが怪しくなった。「韓国人は自分の母親を淫婦とは絶対に言わないものだ。キリスト教から3つに分裂していると言われている。あなたたちは知らないだろう」と、薄っすらと顔を赤らめてお話しされ始めたので、「子供たちが待っているから失礼します」と申し上げて、無事に退散。

 こうして在韓日本サンクチュアリ救命ボートによるエリコ城路程は、ひとつの区切りを終えた。私たちが吹き続けたラッパの声が聞こえただろうか。もし聞こえたならば、今こそ、それぞれのエリコ城に突撃するときだ。もう1か月半しか時間は残されていない。家庭連合の城壁が崩れる時が近づいた。かつてエジプトで苦楽を共にした兄弟姉妹たちを、サタンの呪縛から救い出す時、それが今だ。荒野で亨進様の厳しいトレーニングを受けた統一戦士たちよ。私たちはかつての私たちではない。天の平和軍・平和警察に生まれ変わった兄弟姉妹たちよ、アボジと共に突撃あるのみだ。


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<TEL> 韓国010-6831-7624
<e-mail> lifeboat-korea@hotmail.com/


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目指せアジュンマ特殊部隊
お父様がバックアップされた正道術を学んでいます


アボジ正道術 かつてアボジがソウル市内にそびえ立つプッカン山を散策されていた時、山腹に位置する華渓寺(ファゲサ)で出会った韓国伝統武術、それが正道術。歴史は相当古いらしく、かつて豊臣秀吉軍に対して応戦したのも、正道術の韓国忍者部隊であった…。

孝進様、師範へ 実はお父様のご存命時から、正道術に興味があった。なぜなら、かつてお父様のバックアップのもと、当時の跡取り最有力候補だった長男の孝道様や、朴ポーヒー先生、イム・ドウスン元日本総会長といった韓国草創期の幹部たち、そして6000双、6500双くらいの兄弟たちなど、正道術を学んでいた人はたくさんいたはず。韓国には正道術の専用体育館も何か所かにあったそうだ。しかし、現在はその名前を聞くことさえも難しく、UCにおいては圓和道、そして父親が韓国柔道界きっての達人だったという石ジュノ元韓国総会長の手によって、統一武道と姿を変えていく…。それでは、お父様がかつて惚れ込んでいた正道術はどこに行ったのだろう…。

 正道術は、元山がソウル市カンブク区に位置する華渓寺であり、食口でない方もたくさん学ばれてたはずだ。お父様は、なぜこの武道をみんなに勧めていたのだろうか。もちろん今は2代王様の時代になって、ブラジル柔道の時代になっているし、柔術も本を買って独学で少し学んではいるけど、精神的なことを考えると、かつて日本軍と戦った韓国伝統武術をザ・恩讐国家・日本に生まれた私たちが学ぶことに、何かアボジの意図があるような気がして、いろいろ調べてみた。

 すると、偶然にも、昔お父様の大会のボディーガードをされていた朴ジノ館長にお会いすることができた。本当に導きだったと思う。彼は、当然食口ではなく、今は華渓寺でお仕事をされている。しかし、かつては草創期の先輩たちや、何よりも孝進様と共に稽古されていたという。さらに、あのお父様の奇跡の生還、ヘリコプター事故を目撃した金ヨンホ映画監督の高校時代の同級生だという。高校時代の金監督も、正道術を学ばれていたという。しかも当時17歳の朴館長や金監督たちは、旧本部教会に突然アボジからお呼ばれし、忠武路の稽古場から、胴着姿に裸足で走って旧本部教会に駆けつけた。特に金監督は、「お前、流行歌を歌え」と指名され、“宗教の教祖なのに流行歌とは、変な人だな”と思いながら歌われたそうだ。実を隠そう彼は、今でも正道術の振興プロデューサーとして武術活動を続けている。そういえば正道術、映画にも度々用いられてきたらしく、アクション俳優の門下生たちもいるらしい。

基本術② 正道術を学び始めてビックリしたのは、何よりも急所を中心的に攻撃することだ。手を何気なく振り下ろしても、先生から「その拳は今男性の一番大切なところに当たっているんだ」と指摘されるし、手を前に振り払うときは、「その手は目つぶしの攻撃をしているんだ」と言われ、まだスパークリングするまでは上達していないが、何か心情がいつも急所攻撃モードになる。さらに、攻撃と防御を同時にすることも特徴のひとつだ。パンチやキックをしても、すぐに防御を兼ねた次の攻撃姿勢に入る。これは精神的にも、み旨を歩む心がけに通じているのではないだろうか。

 1970年頃だろうか。大阪万博の時期に、日本のフジテレビ『ビックリショー』に出演して、12メートルの高さから攻撃しながら墜落する術を披露されたそうだ。きっと当時の日本人たちは、本当にビックリしたのではないだろうか。今の韓国はテッコンドウが武術の主流になってしまった。確かに正道術では全然スポーツにならず、まるで戦国時代さながらなので、さすがの韓国政府もバックアップは難しかったのだろう。しかし、アボジがお好きだったというのは、よく理解できる。いつも攻撃と防御、そして効果的な急所攻撃、これはアボジの生き様そのものだと思った。朴館長に伺うと、「統一武道は、正道術からいくつかの要素を持ち出したが、しかし全然別物だ」と、おっしゃられる。だから、韓国の浪人サムライさながらに、密やかに華渓寺の山中で修行され続けているのだろう。

BlogPaint 本当だったら若者たちに技を伝授されたいのだろうが、私はあえてアジュンマ特殊部隊を作ってみようと思った。なぜなら、2世の道を整えるのは、本来だったら1世の責任分担のはずだ。オンマが忍者顔負けの武術使いに見事に変身を遂げたのならば、必ず若い2世たちは後に続かざるを得ないだろう。“アジュンマに負けてはいられない”と、若者が過去の世代を超えようとするのは、世の常だ。考えてみれば、6500双以降の1世は、もともと孝進様を支え侍った2世1世の共生時代を通過したはずだ。今はアジョシ、アジュンマになってしまったが、アボジの前では、私たちはいつでも若者。どうか、おじさん、おばさんたちよ、2代王様に捧げる2世・3世教育のために、今こそ立ち上がろう!

※現在、救命ボートの伊差川代表をはじめ、総勢10名近い在韓日本人アジュンマで学んでいますが、“ぜひ私も学びたい!”という方は、ご連絡お待ちしております。 

※孝進様映像2分18秒から2分46秒くらいまでが正道術で、朴館長曰く、「孝進様は、正道術の師範になられ、テクニック、スピード、パワーの三拍子が揃っていて、心が広い方だった」とのことです。


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